瀬戸内町立図書館・郷土館
ホーム
利用案内
館内の案内図
図書館暦
移動図書館「かけはし号」
蔵書検索・予約
新着図書
利用照会
インターネット予約利用登録
行事・催し
文化財の紹介
図書館のできごと
郷土誌の海
埋蔵文化財だより
図書館・郷土館の刊行物
リンク
問い合わせ

文化財の紹介(考古・民俗行事)

考古

 現在、瀬戸内町では52の遺跡が確認されている。それでは、瀬戸内町で発見された主な遺跡を紹介しよう。

嘉徳遺跡

嘉徳遺跡の遠景 嘉徳遺跡は、昭和48年(1973年)に瀬戸内町の北東部に位置する嘉徳集落で、砂取工事により偶然発見された。嘉徳川の河口付近に形成された砂丘上に遺跡は立地し,瀬戸内町で初めて学術的な発掘調査が行われた遺跡でもある。遺跡からは縄文時代前期から奈良・平安時代(約6,000〜1,400年前)に相当する土器が出土しているが,遺跡の主要な時期は、縄文時代後期頃だと考えられている。出土土器は小型のものが多く,煮沸用としては不向きである。遺跡内からは、数十ヶ所の石組や焼土が発見され,また獣骨が共に出土していることからも,嘉徳集落で生活していた人々は食物を焼く或いは蒸すなどして,調理していた可能性が高いと考えられる。嘉徳遺跡では、このように多種・多様な遺物が出土したが、その中でも嘉徳遺跡で新たに発見された土器がある。調査者は、これらの土器を「嘉徳式土器」と命名した。この嘉徳式土器は、現在でも南西諸島における縄文時代後期(約4,000年前)の指標土器の一つとなっている。嘉徳遺跡では、南西諸島の土器の他に、南九州産の土器も出土している。このことから,嘉徳遺跡では南九州や各島々との海上交流が盛んであったことが伺える。

嘉徳遺跡出土土器

嘉徳遺跡出土遺物(縄文晩期) 前述した嘉徳遺跡から出土した土器である。いずれも奄美群島の在地土器であり、縄文時代後期(約4,000年前)の土器である。郷土館では6点(面縄前庭式土器、二重口縁面縄東洞式土器、嘉徳TA式土器、嘉徳U式土器、嘉徳式土器)が展示されていて、いずれも町の有形文化財に指定されている。

安脚場遺跡

 安脚場遺跡は、加計呂麻島の北東端に位置する安脚場集落の砂丘上に立地している。安脚場遺跡では、約6,000年前の土器(条痕文土器)が採集されており、瀬戸内町の中でも古い遺跡の一つである。出土遺物は、条痕文土器の他にも南九州弥生中期中頃の土器、面縄前庭式土器、嘉徳式土器、兼久式土器、チャート製の鏃(石製・弓矢の先)、カムィヤキ(完形品)なども出土している。

須子茂集落遺跡

 須子茂集落遺跡は、加計呂麻島の南西に位置する遺跡であり、集落内の道路工事に伴い、発掘調査が行われた。この発掘調査は、トネヤやアシャゲなどノロ祭祀空間を発掘調査したことでも注目されている。
 須子茂遺跡では、弥生時代中期〜近現代に至る様々な遺物が出土している。注目すべき遺物としては、ゴホウラの貝殻がある。このゴホウラは、弥生時代から古墳時代にかけて北部九州などで貝輪の材料として珍重されていた。日本では、南西諸島に多く生息している貝で、南西諸島から北部九州へ運ばれていたと考えられている。島外産の土器や陶器、陶磁器には、南九州の弥生時代相当期の土器(山ノ口式土器,中津野式土器)や、青磁・白磁などの中国産陶磁器、薩摩焼(鹿児島産)や壷屋焼(沖縄産)など,古い時代から近現代にいたるまで,多くの外来の焼物が出土している。これらの事から、須子茂集落遺跡でも、古くから南北の諸島間での交流があったことが伺い知ることができる。

カムィヤキ

カムィヤキ カムィヤキは、徳之島で11世紀後半から14世紀頃まで焼かれていた無釉陶器である。その流通範囲は、九州南部から先島諸島に至る南北約1,000キロにもおよび、南西諸島全域に流通した最初の交易品でもある。これらカムィヤキを生産していた窯跡は、2007年に「徳之島カムィヤキ陶器窯跡」として国の史跡に指定されている。カムィヤキの完形品の多くは喜界島,奄美大島で出土しており、瀬戸内町でも10点が確認されている(内、4点を郷土館で展示)。カムィヤキが完形のまま出土することは稀で、小壺であることが特徴である。これら完形品カムィヤキは、生活空間である集落跡ではなく、埋葬に関わる地点から出土する場合が多く、人骨(焼骨)や陶磁器(白磁など)と共伴して出土する例がほとんどである。瀬戸内町の与路島と勢里集落で出土したカムィヤキも骨と共に出土している。

民俗行事

正月

床の間のウディ 正月料理の中心は豚を、ティンバシャ(つわぶき)と一緒に煮物にして食べる。床の間には花つきのカブを飾る。

旧暦三月三日(サンガツサンチ)

潮干狩りの様子 旧暦三月三日は、一年のうちでも潮がよく干く日である。この日仕事を休んで、家族・親族・友人で連れ立って潮干狩りに出かける人が多い。特に貝などがたくさん獲れるというわけではないが、皆で海に出て楽しむことに意味がおかれている。この日に海に行かない者はカラス、あるいはフクロウになるとの言い伝えが各集落にある。この日は「女の節句」といわれている。

旧暦五月五日(ゴガツゴンチ)

ガヤマキ 男の節句といわれるこの日は、魔よけとして(シプショプ)を軒先にさし、ガヤマキ(で包んだ手のひら大の御飯)を作り仏壇や床の間に供えた。ガヤマキとは、ご飯を手のひら大に握って茅と菖蒲で巻いたもの。舟こぎ競争をして遊ぶ集落もある。加計呂麻の木慈の集落民は、この日に海辺の漁垣(カキ)の補修をする慣わしであった。

舟こぎ競争

舟こぎ競争(請阿室) 瀬戸内町の「みなと祭り」では毎年舟こぎ競争が行われる。イタツケ舟に7〜8人が乗り込み、オールをこいで大島海峡で速さを競う。集落や同窓会、職場や近所で集まってチームを作り、毎年多くの町民が参加する。かつては集落ごとに行われていたこの行事も、ほとんど見られなくなってしまった。夏の「みなと祭り」で行われている。

七夕

七夕 旧暦7月7日には、各家では竹を切ってきて七夕竿を庭先に立てる。盆にくる先祖が、それを目印にしてやってくるという。

お盆

送り盆のムジ 旧暦7月13日〜15日。位牌を仏壇から出して机の上に並べ、供物をあげる。15日の送り盆の夕方には、あの世に帰る先祖へのお土産として、ムジ(田芋)の茎を切って墓に供えている。

アラセチ

アラセチのカシキ 旧暦8月初丙(ひのえ)の日は、夏の正月のような日である。年の節目としてカシキ(赤飯)を炊き、その年に新築した家の祝いなどをする。

シバサシ

シバサシ アラセチから1週間後の壬(みずのえ)の日。家の軒にはシバ(ススキ)をさす。その前日夕方には、海で亡くなった霊がやってくるので、その手足を温めるために門口で、籾殻、ワラ、チカラグサを燃やして煙を出す。

豊年祭

豊年祭の会場風景 集落の一大行事。アラセツ、シバサシ、旧暦8月15日といった日の、前の土日に行われている。当日午後から、集落のミャーと呼ばれる広場を会場として、相撲や各種余興が披露される。そこで得られた寄付金は、集落の重要な運営資金となっている。

クガツクンチ

クガツクンチ(旧九月九日) 神社やグンギン(権現)の祭日になっており、願い事をする「願掛け」と、去年の願いをほどく「願ほどき」をする。米とサツマイモを3日間寝かせて発酵させた島の伝統的飲み物の“ミキ”を供える。国指定重要無形文化財の諸鈍シバヤは、毎年この日に行われる。

八月踊り

八月踊りの風景 八月踊りは集落単位で伝承されている。アラセチをはじめ、新築祝いから豊年祭にいたるまで、多くの場面で踊られる夏の風物詩で、踊りも歌詞も様々である。普段着で、老若男女が輪になり、男性側と女性側と分かれて声を掛け合って踊っていたが、現在は集落によってそろいの浴衣を着ている。唯一のリズムをとる楽器は「ティディム」と呼ばれる締め太鼓(馬や山羊の皮を張っている)である。瀬戸内町の中心地・古仁屋では、毎年、八月踊り大会が催されている。